ほしづくよのドラゴンクエストX日記

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サブストーリー「大盗賊の伝説」の解釈 その1 「ほぼ救済されたカンダタ」説

0.本稿の目的

 最近の星月夜は、サブストーリー「大盗賊の伝説」*1*2について、二種類の解釈を考えました。

 本日は第一の解釈である、「ほぼ救済されたカンダタ」説を発表しま~す。

1.『蜘蛛の糸』の観点からの『III』との比較

 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』では、蜘蛛の糸を使って地獄から極楽に脱出しようとした犍陀多は、他の罪人の重さのせいでその糸が切れることを心配して下りるように命じた途端、自分まで地獄に堕ちてしまいました。

 『ドラゴンクエストIII』のカンダタには、この「おちる」というイメージが踏襲されました。最初に登場したのはシャンパーニの塔の六階という比較的高い場所だったのですが、次に登場したのは同四階であり、その次はバハラタ東の洞窟地下二階であり、最後はギアガの大穴の底へと落下していき下の世界の住人になりました。

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 一方『ドラゴンクエストX』のカンダタは、高い場所にあるメギストリス城から文書を盗み出し、次はもっと高いキラキラ大風車塔の最上階に上り、その次は天空に浮かぶ月に到達し、さらにはそこから空とぶくつでリルグレイドの宇宙船まで跳躍しま~す。

 これらの行為には強烈な「のぼる」という共通の印象があるので、『蜘蛛の糸』に照らすならば、『X』に描かれたカンダタは『III』のカンダタとは逆に「救済されたカンダタ」ということになりま~す。

2.「他者に何かを与える存在」としてのカンダタ

 芥川の『蜘蛛の糸』は、「他人の救済を目指してこそ真の悟り」という大乗仏教的な精神が物語の背景にありま~す。この観点から、惜しみなく他者に何かを与える存在としての『X』のカンダタを解釈してみま~す。

 カグヤ=ムーンとの対話から察するに、「世界の百大秘宝を入手する」というのと「入手のさいに生きるか死ぬかのスリルを味わいたい」というのが現在のカンダタに残っているただ二つの煩悩で~す。

 だからこそ他の財貨については他者に惜しみなく与えることができるわけで~す。そしてそうであるがゆえに財貨をもらった他者がカンダタに協力するわけで~す。

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 「カンダタに何かを与えられた他者」の例としては、まず「カンダタこぶん」が挙げられま~す。彼らの「まめちしき2」には「自分はハダカ同然なのに子分には黄金のよろいを着せるカンダタは 気前がいいのか 見栄張りなのか 趣味なのか?」と書かれていました。

 そしてその後に子分になったペリポンには黄金の身だしなみをさせなかったことで、「見栄張り」と「趣味」という二つの仮説は棄却され、カンダタは気前がいい」という説だけが残りました。

 カンダタは僅かに残った欲を満たす目的のためには異常に身勝手ですが、それ以外の欲がないので、身勝手な言動を我慢して行動を共にすれば莫大な分け前が手に入るというわけで~す。だから子分がいたのでしょう。

 その後もペリポンに職を与え、ボラオにアクロバットケーキを与え、主人公にクエスト報酬を与えることで、自在に周囲を操り続けました。

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 『X』版カンダタが「与える」存在であることは、迷宮で出会ったときに気前よく金やメダルや薬をくれることからも明らかで~す。

 いらないものを気前よくくれるキャラクターならば、大金持ちのフローラなどでもよかったはずなのに、運営はあえて過去作品におけるイメージとは合わないカンダタをこの役に抜擢したので~す。

 このことから「『X』版カンダタは欲のほとんどを捨て去っており、わずか百個の目的物以外のすべてを惜しみなく他者に分け与える」という、強力な設定がうかがわれま~す。

 そしてその百大秘宝に対してすら手元に独占してずっと眺めていたいという気持ちはなく、名目上の所有権さえ入手して一瞬鑑賞すればそれで十分のようで~す。

 『X』版カンダタが自由自在に高みへと上れたのは、我欲が極限まで低いゆえに、他人に利益を譲ることに頓着しなかったからでしょう。

 カンダタはカグヤ=ムーンとの対話の中で、その欲さえ果たし終えれば、俗人にとって楽しそうな娯楽がないものの不老不死である世界、すなわち極楽に近似した世界で暮らすのも悪くないという思いを表明していました。

 残り二つの煩悩が解決するまでは極楽を拒否したのですから、『X』版カンダタは極楽のほんの二歩手前ぐらいの位置にいると解釈できま~す。

3.第一解釈の弱点と次回予告

 この第一の解釈の弱点は、カンダタから利益を与えられた者たちは、少なくとも仏教的な意味で「救済」されたわけではないということで~す。

 この弱点ができてしまった理由の一つは、芥川の『蜘蛛の糸』がPaul Carusによる原作"The Spider-web"にあった初期仏教の精神を活かしておらず、大乗仏教のそのまた世俗的部分を全面に押し出しているからでしょう。

 『蜘蛛の糸』のこの傾向については、仏教説話の研究者である小林信彦氏も強く批判していま~す。

 次回はそれを踏まえて、"The Spider-web"を中心に構築した第二の解釈を発表してみたいで~す。