0.はじめに
『ドラゴンクエスト』の映画『ユア・ストーリー』でメタフィクションの手法が使われた件について、強烈な賛否両論があるようで~す。
しかし星月夜は『ドラゴンクエスト』は原点である初代からメタフィクション作品であると考えているので、その要素について今さら大騒ぎすべきでないと考えていま~す。
この記事は、この主張の正しさを三つの証拠から証明して、世間の『ユア・ストーリー』におけるメタフィクション要素を『ドラゴンクエスト』シリーズにおける真新しい傾向としてとらえる風潮に物申すために書いたもので~す。
なので「映画ではドラクエにしては斬新なメタフィクション要素があったので素晴らしい!」というタイプの肯定的な意見も、「映画ではドラクエに似つかわしくないメタフィクション要素を初めて入れられて悲しかった!」というタイプの否定的な意見も、この記事の批判の対象となりま~す。
逆に「ドラクエにおいては古式ゆかしいメタフィクション要素のある王道の映画だったので素晴らしい!」というタイプの肯定的な意見や、「いかにもドラクエというべき陳腐なメタフィクション要素が今回も導入されていた映画だったのでつまらなかった!」というタイプの否定的な意見に対しては、中立的な内容の記事となるわけで~す。
ラダトーム城では「ふっかつのじゅもんが あれば それをきいたときの じょうたいで よみがえることが できるだろう」とか「たびをいちど やめたいときは おうにあい ふっかつのじゅもんを きいておくことだな」とかいわれま~す。
そして復活の呪文を実際に入力すると「よくぞ もどってきてくれた! わしは とても うれしいぞ」と歓迎されま~す。
これらは普通に考えるならば、少なくとも王やその側近といった連中は、勇者を動かしているのが異世界のプレイヤーであるということを知っていると解釈すべきでしょう。そして勇者は一時的に消失することもあり、やがて復活の呪文を唱えて王の前に再降臨する存在として認識されているということになりま~す。
現実を忘れて作品世界に本当に没頭したい人は、もうこの時点でリタイアだったのではないでしょうか?
2.ぽーとぴあ
メルキドには「ねえ わたしの ぽーとぴあと あなたの ドラゴンくえすとを かえっこしてよ」と依頼してくる女性がいま~す。
この依頼の相手は、ゲーム世界内の勇者ではなく、それを操っている異世界のプレイヤーであると考えるのが、常識的な解釈でしょう。
だから今さら「ドラクエの世界に没頭していたのに映画で一気に現実に引き戻された!」という抗議をするのはおかしいので~す。そういう抗議は33年前にやっておくべきでしたね。
3.ゆうてい
マイラでは、『ドラゴンクエスト』と『ポートピア連続殺人事件』の両方の世界を創造した神の分身が「おれは ゆうていだ。 キムこうを さがしている」と話しかけてきま~す。
作者の分身が作品内に登場するのも、メタフィクション要素で~す。
4.結論
『ドラゴンクエスト』シリーズは原点からメタフィクション作品でした。
なので評価の形であれ批判の形であれ、古参ファンが『ユア・ストーリー』のメタフィクション要素を新奇なものとして扱うことには、反対で~す。