5.1メインストーリーの終盤*1で「わらわの魔力すべてを お前にゆだねよう!」と宣言をしてアスバルに全魔力を委譲したエルガドーラは、その直後に瀕死となりました。
そして5.2メインストーリーで魔力の低いオジャロスによって復活させられたあとは、異形の存在となりました*2。
この一連の流れは、冒険者にたとえるならば「MPパサーをした瞬間にHPまで0になり、かいふく魔力の低いレンジャーにザオをされたらゾンガロンの「ケモノになれ!」効果までついてきた」というようなものであったので、なぜそうなったのかが非常に疑問でした。
最近やっと自分でも納得のいく説明が作れたので、本稿ではその内容を世に問おうと思いま~す。
前述のとおり、エルガドーラのセリフ中の「魔力」を「MP」や「かいふく魔力」という解釈してしまうと、おかしなことになりま~す。
しかしこれを過去記事「「魔力」の多義性」の「3-4.魔瘴耐性である「魔物としての強さ」の意味(兼 レイジバルス召喚能力?)」で解釈すると、以下に見るように一気に辻褄が合いま~す。
※根拠1.5.1の瀕死の原因と合致
魔界の通常の空気に含まれる程度の濃度の魔瘴でも、エルガドーラが魔瘴耐性を全部息子に与えてしまったのならば、死にかけるということも十分にあるでしょう。
※根拠2.再生時の経緯にも合致
5.2のエルガドーラは、「誰も助けなかったらそのまま死んでいたはずであり、また逆に魔力の高いアスバルが再生作業をしていたなら魔族の姿で復活できていたはずであり、そして現実には魔力の低いオジャロスの再生作業により魔物の姿で復活した」という設定でした。
そして「ドロヌーバ・強」のまめちしき2には、「魔界の環境に適応しきれず ヒトとしての姿が崩れて おぞましき不定形の怪物と なりはてた悲しき存在」とありま~す。
この二つの設定はほぼ完全にリンクしていま~す。瀕死のエルガドーラは、アスバルに強い魔瘴耐性を注ぎ込まれていれば「ヒトとしての姿」を保っていたはずであり、現実にはオジャロスに弱い魔瘴耐性を注ぎ込まれて「おぞましき」「怪物」となりはて、そしてもしもその救助すらなかったらばそのまま死んでいたのでしょう。
※根拠3.ゼクレスの方言とも合致
「魔力」を「魔瘴耐性である「魔物としての強さ」の意味(兼 レイジバルス召喚能力?)」で使う傾向は、ゼクレス魔導国で強いで~す。
ゼクレスでは家柄とこの魔力との間に相関関係があることを、ゼクレス貴族のディータが教えてくれました。そしてネシャロットやニェルニャンは同じ意味を別の表現で語っていました。これらは過去記事「5.5後期開始直前のうちにNPCと会話して把握した設定と若干の考察。そして僅かな不満」に書いたとおりで~す。
よって前後の物語の辻褄の観点のみならず、ゼクレスの方言という観点でも、エルガドーラがすべて委譲したという「わらわの魔力」の意味はこのように解釈すべきということになりま~す。
※根拠4.目の色とも関係?
これは比較的弱い根拠で~す。
エルガドーラが全魔力を委譲する直前、エルガドーラと太古の魔人の目が「・強」系モンスターらのように赤く光りました。
これはあくまで推測ですが、「魔瘴耐性パサー」をするための経路が開かれ始めるときに、両者ともに魔瘴の影響をより強く受ける一瞬があったのかもしれませ~ん。