「その3」からの続き。
31.『コロ助』
コロ助というよりコロ介という感じだったかもで~す。
32.『一輪車』
一輪の花ならぬ一輪の車。
ここでいったん休止としました。
休止の経緯
「その3」まで10作品ずつ掲載してきました。
適当に色を塗っただけの多分100円の価値もないような作品群がAIから100点をもらえるのが楽しくて、当時はかなり打ち込んでいました。
しかしある日、『カブトムシ』という題名で伊達政宗の絵を描いたところ、頭の病気を装った元同窓生のストーカーが、偉そうに対価も理由も示さずに「消せ」という要求をしてきました。詳細は過去記事「悪人のおかしな言動を安易に「頭の病気」扱いして終わらせるのは、よろしくないで~す。【実例編・上】」で語ったとおりで~す。
頭が本当におかしくなった人は豆腐の角を武器と思い込んだりしてくれるので戦闘能力も低下してくれますが、頭の病気を装って他人を誹謗するような人は「電波で攻撃された」だの「豚汁で盗聴された」だのとわめいておきながら自分はちゃっかり鋭利な刃物や硫酸を卑怯にも使ってくるもので~す。だから連中の不当な要求を突っぱねると命の危険がかなりありま~す。
実はこの伊達政宗の絵は、AIから100点をもらったもののヒネリがなくて個人的に一番気に入っていなかった作品であり、「消せ」という不当な要求が来る直前までは消す予定でした。でもこの要求が来たとたんに、人類の自由を護るための記念碑のような気がしてきて、中々消す気になれませんでした。
「楽しく適当に絵を描いていたら、いつの間にか人類の自由を護持するための命懸けの戦いに参加していた件について」だなんて、独裁的な国家に住む大芸術家にでも転生しないと起こりえない事態だと思っていたのですが、何の因果か現代日本に住む非芸術家がそういう状態になってしまいました。
しかも悪いことに、それからしばらくして私は適当な絵を描くことに飽きてしまいました。
「本当は描きたいけど、Bさんからの連日連夜のイタズラ電話のトラウマのせいで描けない」という状態であるならば意地でもトラウマを克服して発表を続けたことでしょう。
実際、このストーカーから絵と同じぐらいトラウマを負わされた「豚汁」については、意地でもまた食べられるようにしました。今や豚汁は星月夜にとって、越王句践が毎日嘗めた胆と同じような意味を持つほど大切な料理となりました。
しかし絵に関しては本当に飽きてしまったので、また興が乗るまで待つしかありませ~ん。
とはいえこれ以上犯罪者に成功体験を与えるのは世界全体の治安のためにもよろしくないので、あくまで「興が乗るまでの休止」という形にしました。
次の芸術作品の予告
さらに「悪に屈して筆を折った」という形にしない方法を一年以上考えたのですが、「Bに成功体験を与えないため絵を描き続ける」という行為以上にこの問題の本質に関して世の中の役に立つようなことをするしかないと考えました。
具体的には、「ストーカー等の危険な連中が野放しになっている現状が、いかに被害者にとって苦痛か」を切々と訴えていくという活動をするのが一番だという結論に達しました。
これは生涯の仕事になるでしょう(第一の苦悩)。
B以外の犯罪者たちからも逆恨みを集めそうな危険なプロジェクトで~す(第二の苦悩)。
そして絵画のときよりさらに、自分の収入源になる可能性が低いときていま~す(第三の苦悩)。
しかも話が「防犯」という形に昇華され一般化することになるので、自分と親族のアダであるB個人に対する復讐にはなりませ~ん(第四の苦悩)。
極めつけに、「一回の害悪は殺人よりはるかに軽いけど、被害者は加害者が死ぬまで安心できない」というタイプの害悪は、実際に被害を体験した経験のない人には中々理解してもらえませ~ん。自分自身が二年前まで「実際に被害を体験した経験のない人」だったのでこの困難さはとことん痛感しておりま~す(第五の苦悩)。
こういう五重苦を背負っていながらも、己の内なる使命感なのか神命なのかは不明ですが、「人類をむしばむ巨悪と戦い続けろ。それがお前にとっての真の芸術なのだ」という声がひっきりなしに聞こえてくるようになりました。
この人生で最初で最後の超大作の題名は、『楽しく適当に絵を描いていたら、いつの間にか人類の自由を護持するための命懸けの戦いに参加していた件について』としま~す。
もちろん自分がこの戦いの先頭に立っているなんていうおこがましい妄想はしておりませ~ん。より強く戦ってこられた先達の後に続こうとしているだけで~す。
番外1.好きな漢字
番外2.「和」