1.『李衛公問対』
イルシームの家には『馬術と戦術』という兵法書があり、二人の人物が対話をしながら注釈を書いていった形跡がありま~す。
書には上手な馬の落書きもあり、そのことから対話者の一人は、絵が上手であることがメインストーリーで強調されたリズクであることが示唆されていま~す。そうなるともう一人の対話者はほぼ確実にイルシームで~す。
君臣が対話で完成させた(ものだと後世に仮託された)兵法書というものは少なく、有名なものとしては『李衛公問対』ぐらいしかありませ~ん。これは唐の二代皇帝の李世民とその部下で年上の李靖とが対話したという形式の書で~す。
その後もよくよく調べていくと、イルシームの最大の元ネタは李靖であると確信できました。
2.一番深く仕えた相手は、年下の名君
李靖には生涯で主君といえる人物が複数名いましたが、前述の年下の名君の李世民こそが一番深く仕えた相手でした。
イルシームもリズクの先代から仕えましたが、最大の活躍時期において仕えた相手は年下の名君のリズクでした。
3.殺そうとして捕縛されたのが、先代に仕えることになった端緒
李靖は隋王朝に忠誠を尽くすために、当時の指揮系統上の上司である李淵の謀反を告発しようとしました。しかし失敗して李淵に捕縛されたのを切っ掛けに、李淵の単なる部下ではなく臣となりました。この李淵こそが、唐の初代皇帝で李世民の父でした。
イルシームも山賊団の一員として当時のアマラーク女王の命を狙いましたが、捕まってからは仕えることになりました。この女王こそが、リズクの母でした。
4.仕えた国は、定住化した元遊牧民族が主流派
唐の皇室である李家の男系の先祖の来歴は謎に包まれていますが、集団としての唐は間違いなく北魏に始まる北方遊牧民族が主流の北朝の系譜を継いで成立しました。ジパングの平城京や平安京に影響を与えた、皇居が居住区の中央ではなく北端にあるという首都の構造についても、遊牧時代から残る影響が指摘されていま~す。
イルシームが仕えたアマラーク国の主流の民族もまた、300年前に定住化した遊牧民族で~す。領土内に広大な牧場があるのも、普段は身体能力の低いリズクが馬に乗ったとたんに「人馬一体」(ヤザン談)になるのも、遊牧民族としての意識が残っているからなのでしょう。
5.最大の功績は、侵略者の本拠地急襲
李靖は唐の中原統一でも一定の活躍を見せましたが、最大の功績は突厥との戦いにおけるものでした。前述のように唐が属した北朝系自体も遊牧民族出身ですが、この突厥というのはそのさらに北を制した別の遊牧民族であり、唐の成立後もしばしば中原に侵入しました。これを本拠地を急襲する戦法を多用して打ち破ったのが李靖でした。
アマラーク人も、自分達以上の放浪の民であるジア・クトによるフーラズーラを使った度重なる侵入に悩まされていました。それを本拠地を急襲する戦法で打ち破った英雄の一人が、イルシームでした。