闇の領界における「楽園」の物語は、蛇の誘惑・知恵による大地の汚染・楽園の喪失・機械兵による帰還の阻止・神にとって自身でもあり他者でもある人物による免罪等、キリスト教的原罪論の影響を受けたものだという内容の記事を、半月ほど前に発表しました。
ただしこれだけでは、「楽園からの追放先ならばせいぜい通常の世界であるはずなのに、なぜ「闇の辺獄」なんていう名前の牢獄に入れられているのか?」という感想を持ってしまった人もいるかもしれませ~ん。
本日はその種明かしをしようと思いま~す。
一口に「キリスト教」といっても時代や教派によって教義は様々ですが、一部の教義では地獄でも煉獄でもない「辺獄」の存在を認めていま~す。その定義も様々ですが、共通部分は「アダムから相続した罪が払拭されなかった人が収容される獄」といったところで~す。
たとえば、本人は何ら罪を犯さなかったものの、キリスト以前の時代に生きたせいでキリストによる救済を受けられなかった人とか、キリスト以後に生まれてきたけれどもキリスト教の洗礼を受ける前に死んでしまった人とかが、この辺獄の収容者として想定されることが多いで~す。
本人は悪いことをしていないのに、たった一人の先祖の盗み食いの連帯責任を負わされて投獄されるわけですから、かなり理不尽ですね~。だからキリスト教の内部でも、批判や疑念の多い教義のようで~す。
この辺獄の教義に従うならば、アダムとその子孫に与えられた罰の内容は、単に楽園に行けずに不毛な現実世界で暮らすということだけでなく、その現実世界で寿命が尽きたら次は最善でも辺獄に収容されてしまうという、二段階のものだということになりますね~。
そして闇の領界の戦争犯罪者の子孫たちに与えられた理不尽な苦しみの物語は、この二段階の処罰のうちの後半部分のほうも加味して考案されたものだと考えれば、彼らの生活の場所が「辺獄」という名前になっていることも、納得がいくと思いま~す。