ほしづくよのドラゴンクエストX日記

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旅の覇者モンジには、「木枯し紋次郎」の他に、もう一人隠れたモデルがいると考えておりま~す。

0.はじめに

 本日は「旅の覇者モンジ」のモデルを考察しました。

1.第一のモデル、木枯し紋次郎

 最大のモデルは笹沢佐保の小説『木枯し紋次郎』の主人公の木枯し紋次郎で~す。

 三度笠・長い楊枝というトレードマークと、「旅」という設定に、共通性が見られま~す。

 名前も多少似ていま~す。

 以上については、すでに多くの人が発表してきたようで~す。

2.木枯し紋次郎単独モデル説の限界

 ただし木枯し紋次郎は他人と関わるのが大嫌いという設定であり、覇者の心との物々交換を気前よくしてくれるようなキャラではありませ~ん。

 だから他にももう一人ぐらいモデルがいるであろうと考えて、旅の覇者モンジの登場以来数年間、他の元ネタを探し続けました。

3.第二のモデル、百々村の紋次

 「百々村の紋次」は、現在の群馬県伊勢崎市境百々にかつて存在した「百々村」の侠客の親分で、国定忠治の先代に当たりま~す。

 この「百々村」は「どうどうむら」または「どどむら」と発音しますが、「百々」は妖怪「百々爺」(ももんじい)などでは「ももん」と発音するので、この点において旅の覇者モンジの種族であるももんじゃと一脈通じるといえま~す。

 本人の名前木枯し紋次郎以上に旅の覇者モンジに似ているといえま~す。

 木枯し紋次郎が一匹狼だったのに対して、百々村の紋次は親分の立場であったので、こちらのほうが「覇者」の称号や交換屋としての立場にふさわしいで~す。

 さらに入内島一崇著『侠客紋次郎聞書』(群馬歴史散歩の会 1973)の説によれば、百々村の紋次は大沼村出身の宮崎紋次郎と同一人物であり、若いころは遊学して剣道にも儒学にも打ち込んだそうで~す。旅をしながら多様なイベントに参画する旅の覇者モンジと、なんと似通っていることでしょう。