ほしづくよのドラゴンクエストX日記

画像は原則として株式会社スクウェア・エニックスさんにも著作権があるので転載しないで下さ~い。 初めてのかたには「傑作選」(https://hoshizukuyo.hatenablog.com/entry/2017/12/31/000000)がオススメで~す。 無記名コメントは内容が優れていても不掲載としま~す。

でろりん論。ドラゴンクエスト史および『ダイの大冒険』において果たした彼の役割。そしてその代役たち。

0.はじめに

 『ダイの大冒険』の再アニメ化の波に乗り、登場キャラクター「でろりん」について語りたいと思いま~す。

1.ドラゴンクエスト史における「デルパ! イルイル」の役割から考える。

 『ダイの大冒険』は「デルパ! イルイル」の前後編二話の読み切りから始まりました。アンケートでこの話への反応が良好だったからこそ、やがて週刊連載になったといわれていま~す。

 掲載時期は1989年の中旬であり、おそらく実際に描かれたのは『ドラゴンクエストIII』発売日と『ドラゴンクエストIV』発売日のほぼ中間あたりだったことでしょう。

 この話では、でろりん率いる『III』の推奨構成パーティのガラを少し悪くしたような四人組が悪役であり、瀕死になった魔王ハドラーの養生中に穏健化したモンスターを狩り続けて富と名声を得ていました。主人公のダイは、でろりんらの横暴にモンスターたちの特技を活かして立ち向かい、やがては王様もダイのほうが正しいと認めま~す。

 これ以降のドラゴンクエストシリーズでは、モンスターは単純な悪ではなくなり、敵には敵なりの大義があったりとか、人間の醜さが描かれたりとかしていき、作品としての奥行きが深まりました。よってドラゴンクエストシリーズをマンネリやイノベーションのジレンマから救った功績があるといえましょう。

 「このマンガがすごい!WEB」で加山竜司氏が書いたこのリンク先の記事も、より詳細にそういうことを語っているので、オススメで~す。

 ただしこれは、一人の天才漫画家がドラクエを変えたという話ではありませ~ん。もしもアンケートで「勇者と長年評価されてきた男が、モンスターに負けるなんてイヤだ!」とか「絵は気に入ったしドラクエも好きなので長期連載して欲しいが、息子がグレないように徹底的な二項対立型の勧善懲悪の物語にして欲しい!」といった意見が多数であれば、後のドラクエシリーズも『ダイの大冒険』も商業的な理由から内容は初期三部作のマイナーチェンジになっていったことでしょう。

 いわば、初期三部作の単純な正義にそこはかとない違和感を持っていた日本中のプレイヤーが、『少年ジャンプ』のアンケートを通じて新しいドラクエ史の方向性を決めたので~す。

 また、この話の題名の「デルパ! イルイル!」は、直接的には作中のアイテムを使用するときの掛け声ですが、アイテムの使用方法に忠実であるなら、先行する「イルイル!」あってこそ意味のある「デルパ!」なので、この語順には違和感がありま~す。しかしこういう歴史上の役割を知ったうえで考えるならば、「ドラクエの古い約束事の一部から勇気を持ってて、新しい世界にる」という裏の意味もあるでしょうから、その語順に従った可能性が非常に高いで~す。

 題名だけでなく、「デルムリン島」・「でろりん」などの作中の固有名詞でも、とにかく「出る」ことが推奨されてますしね。

 以上から考えるに、ドラクエ史におけるでろりんとは「当時の堀井雄二たちが脱出し乗り越えなければならない過去の自分たちの業績」を象徴していたといえましょう。

 ちなみに、でろりんたちが扮した勇者・戦士・僧侶・魔法使いと並んで多くの『III』のプレイヤーが連れまわして愛着を持っていたであろう「賢者」は、「デルパ! イルイル!」の次の話である「ダイ爆発!!!」で、バロンを通じてその権威を削がれました。

 こういう点からも、初期の『ダイの大冒険』が旧三部作を公式側自らが否定することでイノベーションを狙うための手段であったことがわかりま~す。

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2.『ダイの大冒険』史における、「デルパ! イルイル」の役割から考える。

 長期連載の漫画の中には、やがて内容が原点から遠く離れてしまう作品も数多くありま~す。原点が実験的に掲載された完結型の読み切りという制約の多いものだった場合には、そうなる可能性はさらに高まりま~す。

 しかし『ダイの大冒険』では、その後も何度も「デルパ! イルイル!」のでろりんたちのような人間の醜さが強調され、それを明確に批判する大魔王バーンに一定の大義が与えられ続けました。

 「でろりんみたいな連中が大手を振るっている腐敗した旧体制 VS 極めて単純な弱肉強食の新体制」がこの作品の戦いの構図であるとするならば、でろりんとはバーンが挑むべき「旧体制・旧体制の恩恵を受け続ける人類・旧体制を作った神」を全般的に象徴し続けたといえましょう。

3.でろりんの分身としての、ポップ

 それでも作品を「腐敗まみれの旧体制が勝利したのは、奇矯な新秩序構想に敗北するのよりかは多少マシだったので、一応めでたしめでたし」で終わらせるためには、でろりんの醜さのみならず美しさも描かなければなりませ~ん。

 だからこそ途中で少しだけ改心した姿を見せ、最後には他の誰もどうにもできなかったであろう世界の破滅を回避するという偉業を、そこそこ格好良く成し遂げたので~す。

 しかしこういうキャラの緩やかな進歩の物語を丹念に描いてもマンガとしては中弛みになってしまうので、進歩の動機と過程は読者の想像に委ねるしかありませ~ん。

 そこで代役・分身として使われたのがポップなので~す。

 序盤のポップは、「人間の弱さと醜さを多々持っている雑魚だが、ダイに感化されて自主トレーニングをするという美点の片鱗も見せる。雑魚には分不相応なメラゾーマという才能もある」というキャラでした。「人間の弱さと醜さを多々持っている雑魚だが、島のモンスターの皆殺しを提案するずるぼんを悪党呼ばわりするという美点の片鱗も見せる。雑魚には分不相応なイオラという才能がある」というでろりんと、何と酷似していることでしょうか。またでろりんのメラは一瞬で複数のモンスターを焼いているので、のちにポップが使うことになる「フィンガー・フレア・ボムズ」の弱小版(『X』流にいうなればメラストーム)を体得していた可能性が非常に高いで~す。

 この「少し美点と才能のある雑魚の初期ポップ」が、でろりんの仲間の「まぞっほ」に促成で改心させられて「中堅級戦力の中期ポップ」となりま~す。続いてまぞっほの兄弟子マトリフから厳しい修行を受けたりして、やがては大魔王の目算をも狂わす「救世主級の後期ポップ」となっていくので~す。

 そして読者の多くは、ポップやでろりんに感情移入をして自分も多少は努力をしたり、「作中の人類も現実の人類も弱くて醜いが、美しくなれることもあるので、大量破壊兵器で一層するには惜しい生物だ」という感想を持ったりしたので~す。

 こういう流れを見ることで、「雑魚だった初期でろりんもまた、まぞっほと行動をともにしているうちに、緩やかかつ間接的にとはいえマトリフとまぞっほの共通の師の教えを学び、徐々に成長していったのだろうな~」と読者は想像できるわけで~す。

 「勇者アバンに一年以上師事しても卑怯者だった男が、小悪党のまぞっほに改心させられる」とか「ポップに作中最強の呪文を覚えさせたマトリフは、まぞっほの兄弟子」とか「でろりんが救世主になる最後の一押しの助力をしたのはマトリフ」といった設定を使い、ポップとでろりんの縁を維持し続けたのは、「ポップとはでろりんの代役・分身だった」考えると極めて深い意味があったといえましょう。

4.もう一人の分身であるノヴァとともに、初期五部作を乗り越える。

 「北の勇者ノヴァ」については、登場させる必要のなかったキャラであるという意見がありま~す。しかしでろりんの重要性がわかってくると、その存在意義もわかってきま~す。

 初登場時のノヴァは、「勇者とは一時代に原則として一人だけであり、それ以外はニセ者」という勇者観を持っていました。その上で、自分こそが本物だという自負を持っていました。

 この勇者観はシリーズの『I』~『V』ぐらいのものであり、リアルタイムの読者にもこれに近い考えを持っていた人は多かったことでしょう。

 さらにはロン・ベルクを魔族であるというだけで嫌悪するという点でも、やはりでろりんと同じくロト三部作を引きずっているわけで~す。

 これが戦いを通じて、「勇者は何人いてもいい」・「救われる人がいるなら勇者」というダイが提唱する新しい『VI』的な勇者観に目覚め、行動パターンもそれに応じたものとなっていきました。

 ノヴァの変化を通じて、リアルタイムの読者もまた『VI』的勇者観を受け入れていったと思われま~す。

 そしてノヴァが真の勇者へと成長したのとほぼ同時期に、ノヴァがかつて救えなかった「北」の旧オーザム王国で、でろりんがやはり真の勇者になるので~す。

 「こんな の果てにもちゃんと勇者サマはいるから安心しろい!! …ニセ者だけどなあっ!!!」と、でろりんはわざわざセリフでも「北」を強調しており、また「ニセ者」についても文脈と表情から見るに、悪としての居直りではなく単なる謙遜として使っているようで~す。

 これこそが、ノヴァがポップと並ぶでろりんのもう一人の分身であったことの、何よりの証拠で~す。

 そして真の勇者となったでろりんを阻む相手は、作中唯一の『VI』由来のデザインのジャミラス風のボスでした。

 こうしてノヴァとでろりんと読者は、初期五部作の世界の勇者概念から脱出し、『VI』以降の世界の勇者概念へと軟着陸したので~す。

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5.まとめ

 ここまでの文章は作中の時系列を重視していたので、ここでもう一度でろりんの果たした役割の意義を簡潔に再確認しておきま~す。

ドラクエ史における第一の意義・・・ロトパーティまがいの格好で穏健なモンスターに対して残酷にふるまうことで、『III』から『IV』への橋渡しとなった。作中では仲間ではなかったバロンもこの意味では仲間である。

ドラクエ史における第二の意義・・・勇者とは血統を元に先天的に決定された一名ではないという価値観を分身のノヴァとともに証明し、『V』から『VI』への橋渡しとなった。

※作中での意義・・・分身のポップとともに初期の「卑劣な雑魚」から中期の「人格・実力ともに中堅」へと成長し、さらには後期の「救世主」になることで、人類を滅ぼそうとするバーンに一定の大義を与えると同時にその限界も証明し、作品に深みを与えた。

6.おわりに 新アニメ版への要望

 以上、強烈なでろりん推しの文章を発表しました。

 ここまで読んでくれた人の中には、星月夜が「でろりんを新アニメ版でも絶対活躍させてほしい!」と望んでいると思った人も多いでしょう。

 しかし彼のドラクエ史における存在意義は「ドラクエにおける勇者の概念を、初期三部作や初期五部作の常識で固定化させない」というものだったのですから、今やその歴史的使命は終えているといえましょう。

 また残る作中での意義も、ポップという偉大な代役がいるのですから、無理に本人を出す必要はないとすら思っていま~す。

 加えて存在意義がタイムリーだった旧アニメ版では原作以上に頻繁に登場してくれたのですから、逆にでろりんがいない『ダイの大冒険』もまた、それはそれで面白いかもしれないとすら思っていま~す。

 だから新アニメ版にでろりん関連で望むことは、まず現代において『ダイの大冒険』のどの部分を強調すべきかを決め、かつ上述のでろりんの意義をしっかり知ったうえで、目的に照らして的確にでろりんの扱いを決めてほしいということで~す。