0.はじめに
本日は「ワラキウス」という名前を語源から解釈し、そこに込められた魔界の歴史とゼクレスの国風とのつながりを分析していきま~す。
1.「ウス」
ファンタジーで「ヨーロッパ風の世界の男性の古風な名前」を創作したいときに、とりあえず最後の二文字を「ウス」にしておくという手法がありま~す。ラテン語の男性名の主格に多い語末なので、ラテン語の影響力の変動の歴史を知る人はもちろん古風なイメージを抱くでしょうし、漠然と「世界史の教科書では序盤ほど「~ウス」という名前の人が多かったな~」と覚えている人にも多少の効果がありま~す。
本作でもこの手法は大いに使われており、過去記事「4.0メインストーリー その1 物語の始まりからエテーネルキューブのチャージまで & 同時並行で「英雄の武勲を探して」を開始」で書いたように、4.0が始まるとすぐに5000年以上前の世界の人名として「ドミネウス」と「レトリウス」の名前を聞かされま~す。しかも「ドミネ」も「レトリ」もラテン語に元ネタを見いだせたので、ますます古代の雰囲気が出ていました。
ゼクレス魔導国の建国王「ワラキウス」の命名も、この手法の一環といえましょう。
2.「ワラキ」
「ワラキ」の部分には非常に複雑な事情が込められていま~す。
「ワラキ」自体はラテン語由来のものではありませ~ん。でもある意味では非常にローマと関りが深い、それどころかローマそのものですらある単語なので~す。
日本語で「ワラキ」と発音の近いメジャーな単語はルーマニアの地名の「ワラキア」で~す。ルーマニア語のスペルだと"Valahia"となりま~す。「Valah人の国」という意味で~す。
その「Valah」の語源はというと、スラヴ祖語の"*vòlxъ"あたりから来ているとされ、さらにさかのぼるとゲルマン祖語の"*walhaz"に行き着くと考えられていま~す。その意味は「外人」で~す。
ではスラヴ人から「外人」呼ばわりされたValah人たちの自称は何だったのかというと、「ローマ人」だったので~す。
ローマ帝国は2世紀初頭に「ダキア」と呼ばれていた現在のルーマニアを併合してローマ化を進めたのですが、このダキア属州は3世紀後半にローマ帝国から放棄されてしまいました。
この放棄は敗戦によるものではなく、むしろ戦争の天才であるアウレリアヌス帝がゴート族に勝利したのちに、防衛費の節約のためにおこなわれました。
ただしダキア南方の都市の人口が急増したなどの形跡がないので、公務員以外の大半の住民は現地に留まったと考えられていま~す。
このときに帝国から見捨てられたダキア住民たちの子孫や自称子孫たちの中には、「それでも自分たちはローマ人だ」という内容の強い民族意識を持つ者たちが多くいたため、今でも国名が"România"(ローマ人の土地)なので~す。
その一部となった「ワラキア」も、外人からそう「外人の国」呼ばわりされていたのであって、自称は"Țara Românească"(ローマ人の国)でした。
魔仙卿によると、魔界とはアストルティア全体を効率的に守るために放棄された土地でした。
現地で魔族化した元六種族たちの中には、魔物と共存したり自由競争をしたりすることを選んだ者たちも多かったようで、そういう主義で運営されているのが現代のファラザードやゼクレスやゴーラなのでしょう。
しかし「自分たちは魔物なんかとは一味違う」というプライドで生きている者たちもいたわけで、そういう主義で運営されているのがゼクレスで~す。
彼らはアストルティアを怖れ憎みおぞましく思いつつも、アストルティアへの強い憧憬も持っているようで~す。その証拠を以下に五点列挙しま~す。
第一に、アストルティアに行くための魔法を開発したのもゼクレスでした。
第二に、マデサゴーラからも「アストルティアへの潜入調査員を選ぶならばゼクレス人!」という形で一目置かれていたようで~す。
第三に、穏健派はアストルティアに留学生を送っていま~す。
第四に、バルディスタに亡命すれば富貴と安全が約束されていたはずのデルクロアが逃げた先は、危険に満ちたアストルティアでした。
第五に、「六大陸堂」というアストルティア趣味の店が悪目立ちせず周囲に溶け込み、身分を隠したい国王にとってちゃんと隠れ蓑として機能していま~す。
こういうゼクレスの国風は、まさに正式なローマ帝国に捨てられつつもローマへの憧憬を抱き続けた、ルーマニアの歴史を参考にしたものと考えられま~す。
5.もう一つの縁、ドラキュラ(11月8日追加)
ワラキア公の中で日本一有名なヴラド三世は、小説『ドラキュラ』の主人公のモデルとなりました。
そしてゼクレスの現王であるアスバルは困難な呪文であるドラキュラムの使い手であり、ゼクレス領にはドラキーが多数生息しておりま~す。
さらに吸血鬼の弱点はニンニクであると昔から言われていますが、ゼクレス出身のリソルはニンニクを嫌っていました*1。
こういう縁もあるわけですから、これはもう偶然ではないですね。
6.ゼクレスとルーマニアの類似性のまとめ
「ワラキウス」の名はルーマニアの「ワラキア」を参考にして作られたものであり、語源には「外国人にとっての(自称)ローマ人」という意味が込められていま~す。
そして彼が建てたゼクレスの国風は、ルティアナに放棄された世界の中にありながら、アストルティア風の意識を比較的強く保ち、アストルティアに屈折した愛情を持つというもので~す。そこに、ローマ帝国に放棄されたローマ人を先祖とみなすルーマニアの民族主義が投影されていま~す。
そしてワラキアとゼクレスには『ドラキュラ』という縁もあるので、ルーマニアがゼクレスの重要なモデルであることは疑いがないで~す。
特別寄稿「ルーマニアの観光案内」
ヒストリカ「ルーマニア観光といえば、考古学の愛好者にはヒストリア遺跡*2がオススメだ。
「ヒストリア」の語源は「ドナウ川」を意味する古典ギリシア語"Ἴστρος"(イストロス)である。
ミーの名前の語源は歴史を意味する"history"だけだと思っていたが*3、最近ではむしろ考古学と関係の深いヒストリア遺跡の影響のほうが強かったのかもしれないと考えている」
(以下、2021年12月12日追記)
『アストルティア秘聞録』208ページで「ゼクレス城もドラキュラの城を思わせるようなフォルムにしています」と明言されていました。
これにて本稿の「ゼクレス ≒ ルーマニア」説はほぼ完全に公式設定となりました。