ほしづくよのドラゴンクエストX日記

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夕月夜の読書メモ ホッブズ著『リヴァイアサン』序文・第1部

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暁月夜「最近『リヴァイアサン』に興味を持ったのだが、姐御に色々質問しても「自分で読め」という反応が多い。私は「暁」という名前のとおり西洋畑は苦手なので、夕月夜殿の助力を借りに参った」

夕月夜「私も興味があったので、ここは協力して読んでいきましょう。主に岩波文庫の水田洋訳を参考にしま~す。特に各章の題名はそのまま使わせてもらいました。翻訳文だけでは理解できないときは、適宜このリンク先にある1651年版の原文を参考にしま~す」

暁月夜「なお、素人の小娘二人が個人的関心を中心に書くメモなので、勘違いや大胆すぎる省略も多くなりそうだ。我々のメモを元にレポートを書いて不可を食らっても責任を負えないぞ~」

序文

 神が世界を創造・統治するのに使用している「自然」の最高傑作は人間という機械であり、それを模倣して時計や国家が作られる。

 国家において主権とは人間でいうところの魂であり、政治家・公務員は関節である。公正・法律は理性・意志であり、内乱は死である。最初に国を作る時の契約は、神が最初に作ったときの命令のようなものだ。

暁月夜「序文でいきなり「社会契約論と国家有機体説は逆」という単純な通俗論が消し飛んだぞ。例外を捨象した概説も概説なりの正しさがあるのだろうが、やはり原典にあたるというのは本当に大事だな」

第1部 人間について

1-1 感覚について

 光や音は対象に内在しているのではなく対象の運動によって発せられたものであり、それらが人間の機関を刺激して感覚を生じさせるのである。

暁月夜「デカルトっぽい気がするな」

夕月夜「二人は実際に盟友だったそうよ~」

暁月夜「マジか。それぞれ畑違いの偉人だと思っていたぞ」

夕月夜「同業者が少なく基礎的な方法論についての最低限度の共通了解が未発達だったこの時代の学者って、自分の模索したい分野を理解するための方法論からしっかり自分なりに作って発表しないといけなかったからね。そして本人にとっては認識や思考の手段である方法論の部分が後世に重用されると「哲学者」と分類され、それのもたらす成果のほうが後世に重用されると別の分類に入れられるのよね」

1-2 造影について

 運動量は保存される。

 人間の記憶も体内で保存される。ではなぜ記憶がぼやけるかというと、時間的距離と空間的距離は似たようなものだからだ。

 夢や妄想は過去の記憶の総合であり、迷信的な説明は間違いだ。

暁月夜「多分に誤解が入っているとはいえ、運動に関する語りで時間と空間を一元化するというのは、ミンコフスキーの先駆ともいえるな」

夕月夜「そういう四次元的な発言は雨月に任せたいけど、今日は留守みたいね」

1-3 影像の連続あるいは系列について

 思考は関連性を持つ別の思考と連続する。その連続の仕方については、連想ゲームのような意図的でないものと、明確な意図を持ったものの、二種類がある。

 明確な意図を持った思考系列も二種類があり、第一は結果に至る原因や手段を考えるものである。これは人間以外の動物でも持つ能力であり、過去の記憶から帰納法的に類推される。

 第二は、あるものを仮に持ったとしてそれで何を成し遂げられるのかを考えるというものである。これは人間特有の能力であり、これを鍛えるためには言語が必要なのだ。

1-4 ことばについて

 言語があってこそ国家も契約も社会も平和も成り立つのであって、言語がなければ他の動物と同じである。

 言語に普通名詞というものがあるがゆえに、人は「三角形の内角の和は二直角」などの法則を記憶・伝達し、労力を省けるのである。

1-5 推理と科学について

 明瞭に定義された語を用いて推理をして定理を見出す。この繰り返しで科学は発展していき、人類に便益をもたらす。

 スタートである明瞭な言語がなければ、結論も間違ったものとなる。

1-6 ふつうに情念とよばれる、意志による運動の、内的端緒について。およびそれらが表現されることば(について)

 運動には意志によらないもの(呼吸等)と、意志によるものがある。

夕月夜「その原因となる体内の様々な情念(勇気等)を分類して分析していますが、煩瑣になるので省略しま~す」

1-7 論究の終末すなわち解決について

 人は絶対的な知識を持っていないので、「定義」から出発しない論究は仮定にもとづく意見にすぎない。権威などへの信頼・信仰から始まっている。

暁月夜「出発点の脆さは、デカルト的な演繹法の限界だよな。ここでいう間違うことのない定義から出発した論究というのも、所詮は閉じた公理系の中の壮大な循環論法なのだろうからな~」

1-8 ふつうに知的とよばれる諸徳性と、それらと反対の諸欠陥について

 多義的である「知的」という言葉の意味の整理と、それらの逆の意味の言葉の整理。

夕月夜「言葉の整理という点では第6章に似ていま~す。ただし「狂人とは魔物憑きではない」という自分の見解が聖書と矛盾しないということの証明にかなりのページを使っているのが特色で~す」

1-9 知識のさまざまな主題について

 「知識」の性質を分類し、そこから図表を用いて学術を分類している。

暁月夜「分かりやすい図だな~。他の章でもこんな風にもっと図を使ってくれれば理解しやすいのにな~」

1-10 力、値うち、位階、名誉、ふさわしさについて

 力とは利益を得るための道具。最強の力とは、同意によって合成された集団の力。

 人の値うちは、その人の力の使用の価格であり、状況に応じて他人が決める。

 国家から評価された値うちが位階。

 値うちの表明が名誉であるので、不正であっても力があると評価されれば名誉となる場合もある。古代ギリシアの神々の姦通や窃盗の能力とか、大規模な国家が作られる前の海賊行為とか。現代でも違法な決闘とか。

 ふさわしさとは、ある任務に対する適切な能力であり、値うちとは別物。ふさわしいというだけではその任務に関する権利はなく、権利は約束事によって与えられるから。

暁月夜「ようやく我々素人のイメージする社会契約論に近い話になってきたな」

夕月夜「そろそろ速読から熟読に移行したほうが身のためかもね」

1-11 さまざまな態度について

 人は生存している限り意欲をし続けるものだという見解を前提に、人がとる様々な態度の原因を探った章。

 その中の一例。人は安楽を求めるとき、全体のルールに従おうとする。

1-12 宗教について

 人以外の動物に宗教はない。人は物事に因果関係があると理解でき、また自分でその因果関係を探りきれないときには権威ある見解を尊重するので、宗教が始まった。

 キリスト教以外の宗教は、人々の無知につけこんで支配のために創始されたもの。彼らの予言が曖昧なのは、ノストラダムスの予言書が曖昧なのと同じ。

 第一起動者まで遡る絶対神を崇め、かつ本物のその神が直接作ったキリスト教だけが本物であるが、奇跡がない期間が続くと容易に異邦人の宗教のようになってしまう。スコラ派の跳梁がそのあらわれ。

暁月夜「まさかこんな本でノストラダムスに会うとは思わなかったぜ」

夕月夜「時空を超えてあなたは一体何度―― 我々の前に立ちはだかってくるというのだ!!」

1-13 人類の至福と悲惨に関するかれらの自然状態について

 人の先天的な能力は、ほぼ平等である。だから自分の労働の果実等を二人組の暴力に奪われる可能性は常につきまとい、人間不信が生じる。だから先手を打つための戦争も起きる。それでいて人はみな自己評価が高いので、全員を威圧する権力のない場所では仲間を作って仲間から低く評価されることを好まない。

 以上の理由により、政治権力のない世界では常に各人が各人に対して戦争をしているのである。そこでは法がなく、従って正と不正もない。

 そこで人々は死への恐怖と快適な生活への欲望から、それを達成するにふさわしいと理性が発見する内容の協定を結ぼうとする。それこそが自然法なのだ。

暁月夜「おお、教科書的要約で強調される部分までやっときたぞ。長かった」

1-14 第一と第二の自然法について、および契約について

 第一の自然法は、万人同士の戦争状態におけるもの。各人は平和を希求すべきだが、その平和が未達成の自然状態においては生きるために何をやってもいいというもの。

 第二の自然法は、平和と自己防衛のため、他人とともに、他人と同程度に、自然権を捨て、一定の自由で満足すべきというもの。

 死ぬのが怖くて一定の権利を相互放棄するのであるから、生存や正当防衛の権利まで捨てるような契約は無効である。

1-15 その他の自然法について

 第三の自然法は、第二の自然法を各人がしっかり守るべきだというもの。ここでようやく正と不正の概念が登場する。万人が万物に権利を持っている状態のときには、正も不正もないから。

 さらに第四~第十九まで自然法があるが、一言で要約すると「自分がされたくないことを他人にするな」である。

夕月夜「プラトーンの『国家』で、「何が正義か?」の抽象的な話し合いをソークラテースが中断させて、その議論のためにはまず理想の国家とは何かの議論を始めたのと、一脈通じるところがありますね。正義とは国家あってこそ意味がある概念。やはりホワイトヘッドが指摘するように、西洋哲学とはプラトーンの注釈なのだわ」

暁月夜「「自分がされたくないことを他人にするな」は白銀律として有名だな。時代的に考えてまさか『論語』の影響ではあるまい。ホッブズへの影響の源泉は『トビト記』あたりか?」

1-16 人格、本人、および人格化されたものについて

 代理人や代表者の行為が本人に帰属するというシステムの話。「本人」が複数いる集団も一個の人格とみなすことができ、多数派の決定が少数派にも帰属する。