ほしづくよのドラゴンクエストX日記

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サブストーリー「大盗賊の伝説」の解釈その1 「ほぼ救済されたカンダタ」説

 最近の星月夜は、サブストーリー「大盗賊の伝説」*1*2について、二種類の解釈を考えました。

 本日は第一の解釈である、「ほぼ救済されたカンダタ」説を発表しま~す。

 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』では、蜘蛛の糸を使って地獄から極楽に脱出しようとした犍陀多は、他の罪人の重さのせいでその糸が切れることを心配して下りるように命じた途端、自分まで地獄に堕ちてしまいました。

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 一方、『ドラゴンクエストX』のカンダタは、高い場所にあるメギストリス城から文書を盗み出し、キラキラ大風車塔に上り、天空に浮かぶ月に到達し、さらにはそこから空とぶくつでリルグレイドの宇宙船まで跳躍しま~す。

 これらの行為には強烈な「のぼる」という共通の印象があるので、『蜘蛛の糸』に照らすならば、ここに描かれたカンダタは「救済されたカンダタ」ということになりま~す。

 シャンパーニの塔の六階→同四階→バハラタ東の洞窟地下二階→ギアガの大穴の底へと落下していった、『ドラゴンクエストIII』のカンダタとは逆の存在というわけで~す。

 芥川の『蜘蛛の糸』は、「他人の救済を目指してこそ真の悟り」という大乗仏教的な精神が物語の背景にありま~す。また、だからこそ、Paul Carusによる原作"The Spider-web"にあった初期仏教の精神がまったく活かされていないと、小林信彦氏などからしばしば批判もされま~す。

 Xのカンダタが自由自在に高みへと上れたのは、我欲が極限まで低いゆえに、他人に利益を譲ることに頓着しなかったからでしょう。

 世界の百大秘宝を入手するというのと、入手のさいに生きるか死ぬかのスリルを味わいたいというのが、現在のカンダタに残っているただ二つの煩悩であり、だからこそ他の財貨については、他者に惜しみなく与えることができるわけで~す。そしてそうであるがゆえに、財貨をもらった他者がカンダタに協力するわけで~す。

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 具体的には、まず「カンダタこぶん」が挙げられま~す。彼らの「まめちしき2」には、「自分はハダカ同然なのに子分には黄金のよろいを着せるカンダタは 気前がいいのか 見栄張りなのか 趣味なのか?」と書かれていました。そしてその後に子分になったペリポンには黄金の身だしなみをさせなかったことで、「見栄張り」と「趣味」という二つの仮説は棄却され、カンダタは気前がいい」という説だけが残りました。カンダタは僅かに残った欲を満たす目的のためには異常に身勝手ですが、それ以外の欲がないので、身勝手な言動を我慢して行動を共にすれば莫大な分け前が手に入るというわけで~す。だから子分がいたのでしょう。

 その後もペリポンに職を与え、ボラオにアクロバットケーキを与え、主人公にクエスト報酬を与えることで、自在に周囲を操り続けました。

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 Xのカンダタが「与える」存在であることは、迷宮で出会ったときに気前よく金やメダルや薬をくれることからも明らかで~す。いらないものを気前よくくれるキャラクターならば、大金持ちのフローラなどでもよかったはずなのに、運営があえて過去作品におけるイメージとは合わないカンダタをこの役に抜擢したことから、「Xのカンダタは欲のほとんどを捨て去っており、わずか百個の目的物以外のすべてを惜しみなく他者に分け与える」という、強力な設定がうかがわれま~す。

 そしてその百大秘宝に対してすら、手元に独占してずっと眺めていたいという気持ちはなく、名目上の所有権さえ入手して一瞬鑑賞すれば、それで十分のようで~す。

 その欲さえ果たし終えれば、俗人にとって楽しそうな娯楽がないものの不老不死である世界、すなわち極楽に近似した世界で暮らすのも悪くないと思いつつ、それまでは救済を拒否したのですから、Xのカンダタは救済のほんの一歩手前ぐらいの位置にいると解釈できま~す。

 この第一の説の弱点は、カンダタから利益を与えられた者たちは、少なくとも仏教的な意味で「救済」されたわけではないということで~す。

 次回はそれを踏まえて、第二の解釈を発表してみたいで~す。