ほしづくよのドラゴンクエストX日記

画像は原則として株式会社スクウェア・エニックスさんにも著作権があるので転載しないで下さ~い。 初めてのかたには「傑作選」(https://hoshizukuyo.hatenablog.com/archive/category/傑作選)がオススメで~す。 コメントの掲載には時間がかかることも多いで~す。 無記名コメントは内容が優れていても不掲載としま~す。

夕月夜の読書 清水俊史著『ブッダという男』 & 大きな影響を受け埴谷雄高の『死霊』等を再考する星月夜のメモ

夕月夜「前回から一年以上経過してしまいましたが、本日は話題の新書『ブッダという男』を紹介し、各部ごとにゲストと雑談をしていきま~す」

暁月夜「ゲストは東洋思想に関心のある暁月夜です」

星月夜「興味を持って二人の話を聞きに来た星月夜です。最後に感想を書くかも」

1.第一部「ブッダを知る方法」

1-1.内容紹介

 19世紀から神話的装飾を削ぎ落した「歴史のブッダ」を探る試みがあったが、それらは近現代の価値観を投影した新たな神話であったとする。たとえば「天上天下唯我独尊」を無理に現代人に受け入れやすい意味で解釈するなどである。

 そこで本書では諸部派の初期仏典の散文の部分においておおむね一致するブッダを扱い、その思想がどのように画期的であったのかを語る。

 初期仏典でも韻文の部分に重きを置かないのは、他の宗教と共通の部分が数多くあり、初期の仏教徒にも軽視されていたからである。

 諸々の初期仏典の間では矛盾している(ようにも読める)部分もある。過去の仏教徒はどちらの経典も正しくなるような強引な状況設定をして「調和」の解釈をしてきた。これに似た作業を現代の研究者もしがちであるが、同じ単語の文脈上の使い分けの根拠については独自の発想ではなく仏典に求めるべきである。

1-2.読書会

夕月夜「初期の仏教が当時どう画期的であったかを研究するには、この第一部で語られている方法論は一々うなずけま~す。他の宗教や仏教内宗派についての発生当初の画期性の研究にも応用できそう」

暁月夜「うむ、国学なんてまさに「当時のキャラクターの言動を、現代の価値観(漢意)で解釈するな」で始まったようなものだし、儒教の古典解釈でも日本の江戸時代や中国の清代にそうした発想が強まっていったよな。宗教界はともかくとしても、近現代日本の仏教研究界隈で、当時の文脈を無視・軽視した強引な解釈が横行していたのは、一体なぜなんだろうな?」

夕月夜「ところで残念ながら本題とは無関係なところで一点不満があるわ。31ページでは、『旧約聖書』の神がソドムを滅ぼした理由が「同性愛の罪」であることが前提となっている架空の発言があるけど、『旧約聖書』の本文にはソドムに具体的に何の罪があったのかが書かれていないのよ。「あの粛清の原因は同性愛の罪だったに違いない」という解釈もまた、その解釈が生まれた時代・地域の社会常識を強引に当てはめた「(当時の人にとっての)現代の神話」だと考えるべきだと、私は思うんだけどな~」

2.第二部「ブッダを疑う」

2-1.内容紹介

 戦後の日本では仏教の不殺生戒が非常に強調され、「ブッダは平和主義者だった」と決めつける見解が横行している。しかし戦時中は逆に仏教が戦争を積極的に肯定しているとされた。

 そこで実際の初期仏典を確認すると、「五逆」と違って通常の殺人は原則として挽回可能な軽い悪である。このため上記の戦争に関する両極端な見解は不採用。

 また「無我」を理由に「ブッダは業と輪廻を否定した」という見解もあるが、初期仏典は業と輪廻を前提としている。なお無我なのに輪廻がある理由は第三部で後述とのこと。

 「無記」を理由に「ブッダは業と輪廻のような形而上のことは説かなかった」という見解もあるが、初期仏典ではブッダが時として無記になる動機はいつも、異教徒の単純な質問に単純な返答をすると誤解を生むおそれがあるからである。

 現代インドの新仏教運動はブッダが一般社会の階級差別まで否定したという神話を作っているが、現実には仏教教団に入りその中で修行するという点においての階級差別を(形式上)しなかったというだけの話である。女性差別も初期仏典のブッダは大いにやっている。

 ただし著者はこうした「神話のブッダ(やイエス)」を全否定するのではなく、歴史研究とは別物の何かとしての効用を認める。

2-2.読書会

夕月夜「「十無記」からいきなり「形而上学を語らなかった」に飛ぶ人がいるのは、やはりカントの『純粋理性批判』の四つの二律背反の影響かしらね? 昔の日本の東洋哲学の研究者の多くは、思考の基礎として西洋哲学をまず学んでいたからね」

暁月夜「うむ、中国哲学研究界隈でもたとえば小林勝人なんて、岩波文庫から出した『列子』の訳注本の巻末に老荘思想とカントとを比較する長文を書いているな。付録としての価値は、現在では正直言って低いと思う」

夕月夜「あと『論語』の「焉知死」の影響もあるかもね。「死については「知らない」と語る者こそが偉い」という立場が、漢文の授業を通じて骨身に染み込んでいるのかも」

暁月夜「余談になるが、『孔子家語』という書の致思篇では「死について実は詳しく知っていそうなことを匂わせつつも、自己の見解の社会的影響力を考慮して黙る孔子」も描かれている」

3.第三部「ブッダの先駆性」

3-1.内容紹介

 まず仏教登場以前にバラモン教がどう変容してきたのかを語り、そうした状況下で現れた諸思想の中で仏教が自己を他の思想とどう異なるのかと規定したのかを、仏教から見た六師外道を通じて浮き彫りにする。

 そのようにした上で、第二部で予告したように、「無我」と「輪廻」とが両立する仏教の思想とはどのようなものであるのかを解き明かす。

 そうして仏教が前提としている世界観をしっかり押さえた上で、では輪廻から解脱するための仏教の「縁起」とはどのようなものであるのかを、ジャイナ教の「縁起」との比較を通じて説明する。

3-2.読書会

夕月夜「非常に説得力がある話の進めかたで~す。第二部で紹介された単純な不可知論や唯物論に寄った近現代日本の仏教理解などについては、「それだとこの外道とほぼ同じ思想になり、対立の理由がなくなる」と体感できま~す」

暁月夜「『孟子』でも、孟子が自己と楊子・墨子・子莫の三者との違いを語ってくれるシーンがあったな。思想家は後世からの誤解を避けるには、こういう発言を遺しておくのが便利だな」

f:id:hoshizukuyo:20200916230851j:plain

4.星月夜が受けた影響

 この章では過去の星月夜の見解のうち、本書の内容や売れ行きの影響を受けて再考を迫られた話題を二つ紹介しま~す。

4-1.「ドラクエのダーマ神≒ブッダ」説の再考

 過去記事「「ダーマ神≒仏陀」仮説を発表しま~す」では、「現実の地球でこのカースト制度に反旗を翻し、カースト制度を否定したのが仏教」と書いてしまいました。

 でも本書のおかげで、現実のブッダとは、全職業から「僧侶」や「賢者」に転職する手助けならしてくれても、たとえば「商人」が「戦士」に転職する手助けなどは少なくとも直接的にはしてくれない存在だと知ることができました。

 もちろん本書で好意的に紹介されていた新仏教運動などの「神話のブッダ」は、ダーマ神殿の転職システムに強い影響を与えたでしょうし、過去記事「『ドラゴンクエストIX』と『ドラゴンクエストX』の間におけるグランゼニスの変質を、『妙法蓮華経』提婆達多品から読み解きました。「時の王者」という奇妙な称号の由来もこれで判明しました」の第1章でまとめたように「ダーマ神≒ブッダ」説の根拠は転職システム以外にも多々あるので、この仮説を捨てようとは思っていませ~ん。

 しかし説の根拠のうちの一つである「転職システムの類似性」が、自分の中である程度弱体化したという事実は、重く受け止めておきたいで~す。

4-2.埴谷雄高著『死霊』の再ブームが来るかも?

 前節とは逆に本書の影響を受けて確信を強めた仮説が、過去記事「5.2以後に明かされた情報も加味して、魔界の諸設定への『大審問官』からの影響を再検討しました。おかげでゴダの終焉の地が飛竜の峰であった理由が見えてきました。「大勇者の天衣」の元ネタも発見で~す」の第3章で語った、埴谷雄高の『死霊』が5thディスクに強い影響を与えたというもので~す。

 本書の第二部で紹介されていたように、「ブッダは平和主義者だった」という説は戦前や戦時中にはあまり流布されず、戦後に大いに流布されました。

 埴谷雄高が「ジャイナ教の、仏教以上に徹底的なアヒンサー」に惹かれて釈迦が大雄に本質的に敗れる場面をクライマックスにする予定の『死霊』を書き始めた時点では、戦前や戦時中のブッダ観が日本社会に生々しく残っていたことでしょう。二人のアヒンサーの内容に決定的な差があることは当時の社会常識であり、だからこそ二人を比較する『死霊』のクライマックス構想は社会に大いに期待されたのだと思いま~す。

 しかしその後は、仏教側の宣伝工作のほうが『死霊』に勝ってしまったようで~す。「ブッダは不殺生が大好きな平和主義者であり、この点についてのマハーヴィーラとの違いは誤差の範囲レベル」という思想が、戦後の日本を覆っていったわけで~す。このせいか『死霊』の発表速度は途中から非常に遅くなり未完で終わり、また類似の対比を主題にする他の作品も長らく生まれませんでした。

 しかし現実にこうして2023年に『ブッダという男』が刊行され大いに売れ、戦後神話版ブッダの虚飾は剝がされました。社会のブッダ観は今後また変容していくことでしょう。

 ゆーえーにー、『死霊』のクライマックスの構想も空前の再評価を受ける可能性が出てきました。

 『ドラゴンクエストX』の運営が、2019年発売の5thディスクで当時ほとんど忘れ去られていた『死霊』をストーリーの重要な元ネタにしたのも、この近未来の「そろそろ戦後神話版ブッダの賞味期限が近づいてきている」という機運を敏感に察知していたからである可能性もありま~す。

 何しろこのゲームの運営ときたら、過去記事「サブストーリー「大盗賊の伝説」の解釈 その2 「"the illusion of self"としてのリルグレイド」説 これでリルグレイドの設定・カンダタの特技・漆黒のノートの意義を全部まとめて説明できちゃいました」で証明したとおり、芥川龍之介よりもはるかに仏教の哲理に明るい可能性が非常に高いので~す。そしてこの過去記事を読むとわかるように、運営は本書の第三部で批判された六師外道風の近現代日本の仏教解釈なんかではなく、「アートマンの否定」と「輪廻を信じて、そこからの解脱を目指す」とをしっかり両立させた仏教解釈を、「大盗賊の伝説」に反映させているようなので~す。