ほしづくよのドラゴンクエストX日記

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夕月夜の読書メモ ホイジンガ著『ホモ・ルーデンス』

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夕月夜「本日は遊び人の職業クエストの紹介記事でお姉様が紹介していた『ホモ・ルーデンス』を読んでいきま~す。中公文庫の高橋秀夫訳は2019年に新しい版が出たそうですが、古い版しか実家にないのでこれに全面的に頼りま~す」

暁月夜「以下は私も一緒になって書いた要点なんだが、理論を実証するために著者が大量に挙げた例は原則として省略したので、理論過多の内容となっている。だがこの諸例こそが魅力の大著であるのだから、このメモを機に興味を持った人は、これで読んだつもりになったりせず、できるだけ現物を味わってほしい」

1.文化現象としての遊びの本質と意味

 人間も動物も「遊び」をする。これを生物学的機能として説明しようとすると、その機能にとって過剰な部分が出てくるので無理がある。遊びとは、何かの「ため」にあるものではなく、それ以上遡れない根源的な要素である。

 言語の発生は「抽象」あってこそなので、やはり遊びと関係している。

 遊びを「真面目の逆」と説明する者もいるが、「真面目に遊ぶ」というケースもあるのでよろしくない。

 遊びの第一の特徴は「自由なものであること」第二の特徴は「日常の、あるいは本来の、生ではないこと」第三の特徴は「時間的・空間的な完結性・限定性」。そして最も本質的な特徴が「反復性」

 遊びの機能は、大抵は「闘争」か「表現」である。

 遊びの中から祭祀が発生した。

夕月夜「「真面目に遊ぶ」って特技の「ほんきであそぶ」そっくり」

2.遊び概念の発想とその言語表現

 言語によって「遊び」全般を表す単語が、あったり、なかったり、その中間ぐらいだったりという話。

 たとえば日本語では、「あそび」が「遊び」の意味を網羅している。のみならず、「遠足」とか「~しなさる」の意味でも「あそぶ」が使われる。

雨月「「遠足」の意味の「あそぶ」って、漢語の「遊」に「歩きまわる」の意味もあったからその訓読をしているだけであって、決して本来の和語の意味ではないような…」

夕月夜「でも意味に応じて別の訓を用意しなかったということは、やっぱり当時の日本人も「歩きまわる」と「あそぶ」が一脈通じると思っていたんじゃないかな。実際に「游」のほうは意味に応じて「あそぶ」と「およぐ」の二種類の訓読があるんだし」

暁月夜「それに、「これは単なる訓読だ」と一々意識できたのは相当の知識人だけだから、訓読に引っ張られる形で庶民の間には「遠出するということは、広い意味の遊びの一種である」という観念が植えつけられていったかもな」

卯の花月夜「ちなみに『ドラゴンクエストIII』で遊び人が賢者に転職しやすいのも、日本語におけるこの「遊ぶ」の意味の多義性を使った高度な洒落である可能性が高い。「正業を捨てた遊行者が仏陀になる」というわけさ。これについては星ちゃんの過去記事「「ダーマ神≒仏陀」仮説を発表しま~す」が参考になる」

3.文化創造の機能としての遊びと競技

 多くの民族において、遊びは文化を創造するものとして類似の機能を持っている。

 人間は「より高いもの」を追い求める本性があり、それを実現するための努力に役立つのが遊びなのだ。

4.遊びと法律

 法廷という非日常の区画での闘争である訴訟は、これまで確認してきた「遊び」の定義を満たす。神明裁判であれ近代的裁判であれ。

5.遊びと戦争

 規則に基づいてなされる戦争や決闘裁判もまた、遊びである。その戦いの中で実利よりも名誉が重視された例は数多くある。

 近年の全面戦争時代では、そうした古き良き傾向も廃れつつあるが。

6.遊びと知識

 古代において前二章のテーマ以上に民族を越えて共通性が見られるのが、遊びと知識の関係である。

 知恵比べの問詩答や、世界の起源をめぐる哲学的思考の諸例について。

7.遊びと詩

 今まで扱ってきたテーマは時代が下るにつれて遊びとの関連性を失っていったが、詩は今でも強く遊びと関係している。

 韻を踏んだり婉曲に表現したりといった作業は、それがあまりに時代や民族を越えて普遍的であるため気づかれにくいが、遊びそのものだ。

8.詩的形成の機能

 前章の話題の続き。具体例中心。

9.哲学の遊びの形式

 第6章の続きといった感。

10.芸術の遊びの形式

 様々なジャンルごとの芸術を、詩などの「ミューズ的芸術」と彫刻などの「造形芸術」に分ける。踊りはその中間的芸術である。

 ミューズ的芸術のほうが遊びと縁が深く、造形芸術は労働との縁が深いがゆえに遊びとの縁が浅い。

暁月夜「現在の芸術理論では、この「ミューズ的芸術」をさらに「言語芸術」と「音響芸術」の二つに分けるのが一般的のようだな。過去記事「マデサゴーラの謎の楽器の考察 & 大魔瘴期を乗り切れるかもしれないアイディアを一つ」で読んだ」

夕月夜「クエスト「遊び人の肝試し」*1で遊び人とは逆の方向に人格を変えられたゴランゾを、どうのつるぎの量産者として描いたのは、「遊び」の傾向がなるべく薄くなるような工夫だったというわけですね。「職人芸」という言葉もあるように、職人の仕事も高度になればなるほど造形芸術と化していき、遊びの傾向が強まっていくわけですから」

11.「遊ビノ相ノモトニ」に見た文化と時代の変遷

 ヨーロッパ史において遊びが果たしてきた作用の確認。

暁月夜「要約してしまうと一行なんだが、この章を読むだけでヨーロッパ文化史が概観できるほど実例が豊富だぞ~」

12.現代文化における遊びの要素

 ルールを守ることは遊びの重要な要素であるが、近年ではナチスドイツの掟破りにより、戦争であれ政治であれ、古き良き遊びの精神が失われてしまった。